PMあるある(メンターの役割)

作成日:2021/12/20

お役立ちコラム

PMあるある(メンターの役割)

このコラムはプロジェクトマネジャー (以下PM) の日常をご紹介しています。
「あーっ、それってあるよね。」「もっとこうしたらいいのに。」「同じような悩みだなぁ。」など、PMあるあるを息抜きに楽しんでください。

今回は実際に起こったことをヒントにしたフィクションです。

プロジェクトメンバーの紹介

  • PM(寺島学):業務管理アプリ開発PM。鹿児島出身48歳。
  • 回想時: PL/林華子(28歳)、新人SE/山岸亮(19歳)、PM/鈴木武志(39歳)

今回のテーマであるメンターですが、メンターによる新人への指導は単に仕事の進め方に限りません。
場合によっては、その新人の人生までも変えてしまいます。
今回はメンターと新人の成長の物語をお届けします。
自分の新人の頃を思い出しながら読んでいただければ幸いです。
それでは物語を始めます。

前編

寺島は顧客提出まであと1週間となった提案書を作成中、見積もりのためWBS上のタスクに担当者を割り振っているところだった。
今回は新人配属があるため、メンターの考慮も必要だ。
新人にとって最初の仕事になる。
得意分野、性格、経験が異なるチームの一員となるわけだ。
期待より不安でいっぱいだろう。
当社で新人育成の施策としてメンター制度ができたのはもう15年も前のことだ。
新人にとってメンターの存在は上司より大きい。
この制度は新人そして受け入れる中堅社員や管理職の間でも評判が良かった。
今では社内制度としてすっかり定着している。

山岸亮が入社したのは10年前になる。
彼にメンターとして当時入社6年目でリーダたちからの信頼が厚い林華子をアサインしたのは私だった。
そのこともあり山岸と林ペアは記憶に残っている。
しかしながら山岸はその年の暮れに退社してしまった。
会社にとって貴重な新入社員を失うのは痛恨だ。
上司を含め引き留めたが本人の意志は固かった。

その彼を先週コンペのRFP説明会に出席した当社の社員が見たとの話が耳に入った。
気になって数日前に林華子へ尋ねてみた。
林は彼が退職後もたまにメールのやり取りがあり近況を知っていた。
RFP説明会で見たのは間違いなくあの山岸だった。

山岸亮は商業高校を卒業して、うちに入社した。
彼は高校のプログラミング授業でVBと出会いプログラミングに興味を持った。
在学中に決算書表作成アプリを自作するほどの技術を取得した。
情報処理関係と簿記の授業では全て校内トップの成績だ。
だが勉強に興味を持てず学費も負担になるため大学や専門学校など進学は希望しなかった。
好きなプログラミングで早く社会に出る道を選択した。

その年の高卒入社は3名で全員商業科。
専門卒と大卒含めて合計20名が入社した。
リーマンショックの影響で大手が採用控えた時期にうちは積極採用策をとったのが良かった。
当時採用されたメンバーがいまや中堅として会社を支えている。
結果的にあの経営判断は正解だった。

林華子は当社には珍しく文学部出身だ。
入社時点で技術的な知識は乏しかったがプログラミングは同期の助けも借りながら必死で習得していた。
顧客の業務理解が早く、当時担当していた販売管理支援アプリで保守作業は期待通りの成果物を生み出していた。
プロジェクトリーダから重宝され会社の評価も高かった。
彼女がリーダに昇格した際に初めてメンターとして受け持ったのが山岸亮だった。
彼女から山岸の成長について次の話を聞いた。

山岸には学校でのプログラミングは趣味レベルであり業務レベルとは違うこと、チーム作業のためのルール順守、コーディング規約の意味、品質担保の考え方など教えていった。
年代を意識し語りかけ、仕事のやり方を教え、そして実践させた。
指導範囲はエディター使用法ノウハウや、プログラミング構造化する技術的分野にとどまらず、特に重点を置いたのがホウレンソウ(報告・連絡・相談)の徹底だった。
とにかく彼は自分の考えを文章にするのが苦手だった。
文書作成機会を意識的に増やしていた。
自分の書いた文章を添削されると良く思わない人もいるが、幸い二人は馬が合った。
彼はメンター林を信頼し教えをどんどん吸収していった。
OJT参加当初は依頼事項を満たせず、抜けがいくつも見つかっていた。
これらの事象を使い、なぜ抜けがでるのか彼に考えさせた。
その結果彼は考える習慣を体得していった。
林は初めてのメンターとして山岸の成長がうれしかった。

山岸がOJTで入った案件は既存アプリの定期リリースでPMは鈴木武志だ。
鈴木は同じアプリを長年従事しており社内でこのアプリおよび適用する業務に関しての知識はトップのベテランである。
顧客の漠然した希望や、時には愚痴から具体的な要件や仕様を作るし、DB構造やソースコードは暗記し改修箇所とそれがどこに影響するかすぐにイメージできた。
見積もりの精度は高く不具合発生は少ない。
顧客からの信頼は抜群。
顧客の予算感を明確につかんでおり彼の見通しは正確だった。
当然社内の経営層からの評価は高かった。
一方腑に落ちない事やミスした相手に対しては、厳しい言葉と横柄な態度でトコトン追及するため煙たがられていた。
相手かまわず忖度(そんたく)なしに妥協を許さず粘着質なタイプだ。
彼の指摘は正論であり反論する余地はないが、ミス発生のたびに、「なぜだ?」と納得いく返答がでるまで執拗(しつよう)な追及が始まる。
そして簡単にヒートアップする。
相手の状態などお構いなしの厳しい尋問だった。
1分以内に納得できないと汚い言葉で罵倒が始まる。
一度スイッチが入ると相手が嫌がる言葉を選んで発するようになる。
感情が制御できない。
そんなPM鈴木武志の前でメンバーは萎縮していた。
彼の攻撃を恐れ神経質なほどチェックに励んでいた。
彼はこのやり方でメンバーの成果物や行動に目を配るから品質を維持していると考えていた。
それが顧客そして自社経営層から信頼されていると自覚していた。
そのため彼のパラダイムはどんどん強固になっていた。
この鈴木のやり方に耐えられないと言ってメンバーが会社を辞めるケースがあった。
社員にとってあたりの強い鈴木だが業績への貢献から、彼の言動や態度に直接注意する管理職は誰もいなかった。
林華子はそんな鈴木となんとか折り合いつけて、山岸のメンター業務もこなしていた。

当時ちょっとした事件があったことを林が話を始めた。
鈴木にとっては日常だが山岸にとって強烈な記憶となったようだ。

このあと、新人の山岸のチャレンジが思わぬ方向に進みます。
でも、メンターからの指導が彼に次のアクションを決断させます。
来月に後編に今後の展開をお届けします。
少しお待ちください。

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